2月(2)
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神奈川県港北区日吉の慶應義塾大学構内にある「日吉台地下壕見学ツアー」に参加してきました。旧帝国海軍が残した連合艦隊司令部地下壕をいつか見たいと思っていたからです。約40名の参加者は、まずは日吉台地下壕保存会のガイドさんから、注意事項のレクチャーを受けました。「急な坂道、水溜り、壕の中の排水溝に足を取られないこと、また撮影禁止個所有りで、撮った全ての写真はなるべくSNSには流さない」等々でした。そして4班に分かれて、自然豊かな緑に囲まれたキャンパスから、山すそにある通称「まむし谷」に行くまで、今回の戦争遺跡見学という目的が無ければ、まるでハイキングのような爽快感です。それが地下壕に入り、持参の懐中電灯を照らすや否や、言いようもない暗澹たる気持ちになりました。 張り詰めた静寂、緊張、そして無言の脅威・・・。 この地下壕建設が始まったのは、1944年サイパン陥落後で、最初に連合艦隊司令部が設置され、終戦までのたった1年間に、神風特攻隊や戦艦大和の出撃命令がこの壕から出されたということでした。迷路の中は、指令長官室、暗号室、作戦室などがあるようですが、機密を重んじて当時の資料や写真もないため明白なことはわからないようでした。途中、ボランティア・ガイドの女性が、特攻隊が体当たりで爆撃するときの「ト・ト・ツー・ト・ト」という実際の発信音を流してくれましたが、「この音が聞えなくなったときが飛行機もろともに爆撃が終わったときです」との案内に、私も含め多くの方が涙しました。 見学終了後に、80才位の方が「防空壕から1歩外で遊んでいた子どもが空襲でやられたと聞いたことがあるんだ・・・」と言葉少なに語る声が聞えました。また、この見学ツアーを取り仕切る「日吉台地下壕の保存の会」の市民活動が、この戦争遺跡の永久保存を目指して35年の歴史があるということに感銘を受けました。そして、悲惨な戦争で亡くなった人々の無念さを思い、あらためて平和の大切さを思った1日でした。
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2月(1)
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歌手である八代亜紀さんの突然の訃報に驚きました。トラック野郎や遠洋漁業の船員さんたちのマドンナであり、歌えばハスキーヴォイスの哀愁を誘う低音!私のようなどうしようもないダミ声女には、なんとかカラオケで唄える救世主のような歌姫でした。曲がりなりにも彼女の演歌は私の十八番でした。1971年のデビューの頃は、ふんわりとした茶色の盛り髪に挿したキラキラした髪飾りや、光輝くスパンコールの揺れる衣装は、大人の世界の女性の香りがムンムンしていました。そして、触れてはいけない過去を持つミステリアスなイメージの人でした。 「熊本県八代市生まれでバスガイド出身、プロになるまでには長い下積み生活があった」くらいしか、人となりを知る由もなかったのですが、このたびの訃報にあたり、毎日のように流される彼女の陽気でポジティブな生き方の報道に、まったく違った人生が垣間見れました。 アメリカの歌手であるジュリー・ロンドンの影響を受けて歌手になったこと、2013年にはジャズ歌手としてニューヨークの舞台に立ち、2015年から箱根親善大使に就任したり、画家としてもフランスの絵画展に入選していた、等々です。そして、ボランティアにも積極的で、東日本大震災のときには八代産の畳を届けたり、熊本地震でも避難所訪問して人々を励ましたという記事もありました。 彼女曰く「ヒットした自分の歌は、自分の生き様ではないです。女性の代弁者として歌っているのです」という言葉に、人生における、愛だの恋だのに振り回されない、強く生きていく女性の姿を感じました。大好きな彼女の歌の中に「もう一度逢いたい」というタイトル曲がありますが、まさしく彼女こそが、私にとってもう一度逢いたい人です。
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1月(2)
2023年度PCアートコンテスト大賞受賞作品
矢部靜樹さん 組写真 沖縄の”花と蝶”
2023年度PCアートコンテスト大賞受賞作品
矢部靜樹さん 組写真 沖縄の”花と蝶”
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初夢に想うこと
あっというまに新年も半月が過ぎてしまいました。素晴らしい初夢を見た方は、しばし希望と幸せに満ちた年の初めだったのでは!「一富士、二鷹、三茄子」が夢に出てくれば、その1年が縁起の良い年になると伝えられています。 私といえば、若いときからこの初夢を期待して「なかきよのとおのねふりの・・・」の歌を書いた紙を枕の下に入れて寝ます。しかしながら、いつも期待ハズレもいいとこで、吉夢というより見るのは残念な悪夢ばかりです。今年の初夢は16年前に看取った愛犬コムギが久々に登場、楽しい散歩に出たところ、そのうち道に迷い、なぜか一緒に川にドボン!悲しいかな、ここでコムギを捜すはめに・・・。去年の夢に至っては、他人の家に入り込み、そこの夕ご飯を無断でムシャムシャ。どの夢もあまりの切なさと罪悪感で目覚めていました。最近は、この正月悪夢の原因は、三が日を暴飲暴食で過ごし、いつ起きていつ寝ているかよくわからない怠惰な日々のせいではないかと思い始めています。 初夢に限らず、自分がストレスを溜めこんでいるときによく見る夢もあります。それは、なんと私が母を怒っている夢なのです。父の後ろを3歩下がって歩き、専業主婦の鑑のような母が、なんと夢の中では、家事をせずどこかへ遊びに行ってしまうのです。これは、過去に実際、私が母に怒られていた場面の逆バージョンなのです。親を怒るようなわけのわからない夢を見て飛び起きた朝は、自分の不甲斐なさに落ち込みます。そのたびに、夢判断の本やネットを読み返すのですが、「母の夢を見る」→自立心の高まりであり、「母を叱る」→ストレス解消の吉夢である、と書いてあります。さらに「吉報を待ちながら、人に誠実に接していれば幸運が届くであろう」と、結んでいます。本当かどうかは別にして、とりあえずは誠実かつ、辰のように強いパワーでこの1年を過ごし、吉報を待ちたいと思います。
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1月(1)
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約3年半伸ばした髪の毛をバッサリ切って、少々首筋がスースーしますが、清々しい新年を迎えています。
2022年10月―1号にも書きましたが、あの念願だったドネイションを果たしました!すでに去年の夏ごろから、長すぎて切りたくてしょうがなかったのですが、いざカットの予約日が近づくと、いったいどんな顔になるのだろうかと心配になりました。高校3年のときに、おさげ髪を切ったら、「女三四郎」と呼ばれ、はては「モンチッチみたい」と言われた苦い思い出が蘇りました。
複雑な気持ちのまま、美容院に行ってカット椅子に座ると、店長曰く「長い髪を切るのは嬉しいですね~」とやる気満々のご様子。
「先日も、ドネイションで青年の見事な黒髪を切りましたよ!
まさにカラスの濡羽色ってやつですよ。美容師冥利につきました」と聞いてもいないことをペラペラと・・・。立派な黒髪の青年までが参加する活動なのだ、私のようなシニアのパサついた髪は見劣りするだろうなあと思いつつ、あらためてドネイション規定が頭に浮かびました。「小児用医療用ウイッグとして、頭髪に悩みをもつ子どもたちに無償提供すること。クセ毛、白髪や量に関係なく、髪を小さい束に分けてゴムで結び、カットした髪は本人が活動団体に郵送すること」等と思い出していると、ジョリジョリというハサミ音が耳元でし始めました。テーブルに髪の束が並べられ、ふと目前の鏡に映った我が顔に愕然!やっぱり、そこには、ふけた「女三四郎」が!それも今回は、ザンギリカットです。思わず明治時代にヒットした「ザンギリ頭を叩いてみれば、文明開化の音がする」という俗謡が浮かびました。
新しい年に断髪町田は、より一層開化した「まちだより」を書いていく所存です。
今年もどうぞよろしくお願いいたします!
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