連載コーナー


(2012年4月~2016年1月)
 
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2015年

2015年12月(2)
 
   

 

 

   
渋谷のハチ公前
“世界一、人が待ち合わせる場所“として知られる渋谷のハチ公前。サンタをあしらったオブジェからハチ公に目を移すと、「また会えないかも知れない、でももしかして…」という諦観と期待を滲ませた表情が何とも切ない。こうして9年間待ち続けたハチ。ここで、今宵もまた多くの人が出会え、街に散って行く。ハチ公に感謝。
(写真と文 大谷 恭子)

ハチ公に挨拶し街ヘクリスマス 
俵藤喜仙

 

2015年12月(1)
 
   

 

 

   
目黒川の冬の桜
五反田から大崎にかけての目黒川沿いに咲くLEDの「冬の桜」。川面に揺れる幻想的な光を美しく温かいと感じる人は、きっといま幸せな人、冷たく儚いと寂寥感を持って眺める人は、おそらく心に憂いを持っている人?大人はともかく、子供たちの目には、どうかあたたかく映ってほしい。
(写真と文 大谷 恭子)

「寒いね」と話しかければ
「寒いね」と答える
人のいるあたたかさ 
俵万智

 

2015年11月(2)
 
   

 

 

   
公園で遊ぶ子供たち
「生誕100年-写真家・濱谷浩展」を観るために世田谷美術館を訪れた。豪雪地帯新潟で撮られた60年前の子どもたちの輝かしい表情やモノクロの精神性に感動しつつ、美術館に隣接する砧公園を散策した。そこにはモノクロとは対照的な、明るい童話の世界に遊ぶような子供たちの姿があった。ああこれが現在なのだと。
(写真と文 大谷 恭子)

落葉踏むその明るさに弾みゆく 
曷川克

 

2015年11月(1)
 
   

 

 

   
刈田風景
福岡県西端に位置する「志登支石墓群」を訪れた。60年前に発掘された弥生時代の史跡。まわりは長閑な田園地帯で、刈田のそばに、頭を垂れた稲穂も眺められた。これらの支石墓は、朝鮮半島から渡来したものといわれる。遠い、遠い昔の人々が、ここで稲を育て穫り入れをする姿を想像しながら、心地よい秋の風に吹かれた。
(写真と文 大谷 恭子)

実り田の横にやすらぐ刈田かな 
高橋将夫

 

2015年10月
 
   

 

 

   
樹齢800年のビャクシン
威風堂々とした立派な樹をみると、心が伸びやかになる。湯河原の城願寺境内にある土肥次郎実平が手植えしたというビャクシン(樹齢800年)。この樹の前に立ち、しばし時空の世界に身を置いた。湯河原は、かつて藤村や独歩、黒田清輝、内村鑑三ほか多くの文人、墨人に愛された地という。このビャクシンは、きっとそれらの人々とも会話してきたのであろう。
(写真と文 大谷 恭子)
風の声樹の声秋思深まりぬ 
谷口みちる

 

2015年9月(2)
 
   

 

 

   
秋彼岸に咲く花々
9月中旬に雨の日が多く、涼風が立ちはじめたこともあり、庭の花々が元気を取り戻し、冴え冴えとした表情をしている。彼岸にある人々がこよなく愛でた花々が、まだ此岸にあって、「わたしはここにいるよ」と健気に呼びかけているような…。そうだ、お墓参りに行かなくては。
(写真と文 大谷 恭子)

朝顔のパラボラ何を受信せん 
鈴木しどみ

 

2015年9月(1)
 
   

 

 

   
台場の女神像
ニューヨークの自由の女神像は、アメリカの独立100周年を記念してフランスから贈呈された。そのオリジナル版の小さな像がパリのリュクサンブール公園に置かれていた。場所柄のせいか、大きさのせいか、私はこちらの方がノーブルだと感じた。東京お台場に立つ女神像は、約15年前、パリから正式許可を受け、そのレプリカ制作に至ったという。
(写真と文 大谷 恭子)

さういえば新涼の風なりしかな
稲畑汀子

 

2015年8月
 
   

 

 

   
晩夏
空を見上げると、晩夏の美しい雲が流れてゆく。蝉たちの、生命の限り時を謳歌しているような鳴き声。昆虫網をもった少年が、真剣な眼差しで、その方向を追っていた。井上陽水の『少年時代』に歌われている 8月の情景はいまも 25年前も変わらない気がした。この少年は、これから先どんな夢を追うのだろう。
(写真と文 大谷 恭子)

蝉鳴くや上手に鳴けぬものもゐて
熊谷みどり

 

2015年7月(2)
 
   

 

 

   
プロヴァンスの夏の海
ヨーロッパの人々は、本当に夏の太陽と海が好きなのではないかと思う。“夏”という語から連想するイメージは、人それぞれであろうが、一度、地中海の夏の空と海の色を眺めると、夏というと、どうしてもあの碧さが目に浮かぶ。碧という色は、どこかに涼やかさ、静けさ、清らかさ、憧れの要素を含んでいるのではないだろうか。
(写真と文 大谷 恭子)

濃さに堪へて帆白し夏の海
原石鼎

 

2015年7月(1)
 
   

 

 

   
楊梅(ヤマモモ)
楊梅と書いてヤマモモと読むのだと母から教えられた。庭にある二本の楊梅の樹に、いま沢山の実がなっている。宮尾登美子さんの短編『おけいさんと日曜市』には、楊梅の名産地・高知の十市の農家に嫁いだ女性の、姑に抱く感情が描かれている。この赤く熟れた美しい実を見ていると、独特の風味を好む人に採れたてを届けてあげられたならと私も思う。
(写真と文 大谷 恭子)

楊梅の甘くて何がなしかなし 
西村和子

 

2015年6月(2)
 
   

 

 

   
6月19日は太宰治の日
毎年この日、東京三鷹の禅林寺では「桜桃忌」が修され、故郷・津軽では「誕生祭」が行われる。由緒ある生家は、現在“斜陽館”として、一般公開されているが、庭園、襖絵など、贅を尽くした造りに感嘆させられた。太宰が幼い頃遊んだといわれる芦野公園で、ニヒルな感じの太宰治像を見上げ、何故か少し切ない気持ちになった。最近は高校生にも太宰ファンが多いとか。
(写真と文 大谷 恭子)

太宰忌の墓前にひとり男ゐて
川井政子

 

2015年6月(1)
 
   

 

 

   
青蓮院のクスノキ
久方ぶりに京都を訪れた。青蓮院には樹齢800年といわれる楠の巨樹が5本ある。そのいずれもが威厳、格調、優美さを具えていて、この樹の独特な存在感と対峙していると、不思議に自分の心も洗われてくる気がした。青蓮院から智積院に回り、長谷川等伯の障壁画の前に立つと、ここでも良質な非日常を味わった。
(写真と文 大谷 恭子)

水打てば沈むが如し苔の花
高浜虚子

 

2015年5月(2)
 
   

 

 

   
北鎌倉のひっそりとした寺
初夏の気持ちの良い青空が広がったので、北鎌倉まで散策に出かけた。東慶寺のイワタバコはまだ蕾だったが、黒姫アジサイが見頃で清楚な藍色が美しかった。少し離れた場所にある浄智寺でも森閑とした境内に、いろいろな野の花が咲いていた。鎌倉の寺院は武家文化が特徴といわれるが、一方花寺の多いことが少し意外な気もする。
(写真と文 大谷 恭子)

初夏といふ開放感を纏ひ来し
稲畑汀子

 

2015年5月(1)
 
   

 

 

   
弘前城から見た岩木山
弘前城は、かねてより一度訪れてみたいと思っていた城である。司馬遼太郎の『北のまほろば』に、<本丸から見る白き岩木山は気高さのきわみ>と描かれている。ソメイヨシノの満開には 10日遅かったが、枝垂れと八重は残っていて、新緑が美しかった。
この城は、今年 8月から石垣修理工事に入るため、2021年まで現在の天守閣は臨めなくなるという。
(写真と文 大谷 恭子)

新緑や旅の思ひ出また一つ
久永つう

 

2015年4月(2)
 
   

 

 

   
空色うすき小さな花
忘れな草が咲くと、子供の頃、母が教えてくれたドイツ民謡“空色うすき”を思い出す。 ♪空色うすき小さな花を忘れな草と申します、その花束でお部屋を飾り、遠くの友を想いましょう…この歌詞により私は、「友」という概念に格別の憧れを抱いた。友が付く言葉は沢山あるが、いずれも奥深く心を尽さなければ近寄れない気がする。友好、友愛、知友、盟友、酒友?
(写真と文 大谷 恭子)
この花に勿忘草といふ名あり
清崎敏郎

 

2015年4月(1)
 
   

 

 

   
岡本かの子文学碑
多摩川の二子橋を渡った大山街道沿いに、岡本かの子の文学碑が立つ「二子神社」がある。碑は、岡本太郎が両親を顕彰するために制作したもので、「誇り」と名付けられている。大正の頃、かの子の実家がこの近くにあり、かの子も幼少時代をここで過ごしたという。いまは、訪れる人も少なく猫が数匹住みついているようだった。
(写真と文 大谷 恭子)

多摩川に東歌あり風光る
川井政子

 

2015年3月
 
   

 

 

   
沈丁花の香り
沈丁花が咲き始めた。若山牧水が“青くかをれり”と詠み、とりわけ好んだ花。春を感じさせる花。香りは沈香、ディオールの香水ディオリッシモにも通じる気がする。この花が咲いている間、私は枝を切ってきては家の中のあちこちに活ける。遠い昔、この花の香りに包まれ、何故か遣る瀬なさを感じていたことがあったなどと思い出しながら。
(写真と文 大谷 恭子)

この辺り曲がりし記憶沈丁花
佐藤弥生

 

2015年2月(2)
 
   

 

 

   
休日のみなとみらい
横浜美術館に「ホイッスラー展」を観に出掛けた。日曜日の横浜みなとみらい21地区では、子供を遊ばせる若い父親の姿をよく見かける。乳母車を押したり、普段着姿で日向ぼっこをしているのだから、多分近くの高層マンションの住人であろう。欧米の都市と同じように、日本の若者も、住居は高層ビル、庭は手入れの行き届いた公共の公園をと考えるようになったのだろうか。
(写真と文 大谷 恭子)

心には季節先どり春浅し
稲畑汀子

 

2015年2月(1)
 
   

 

 

   
春が動き始める日
節分の豆撒きのとき、地方によっては「福はうち、鬼もうち」と唱えるのだとか。世の中には、豆をぶつけて追い払いたいような、ワルサばかりする人もいる。そういう人にも春を待つ心はあるのだろうか。
もう立春、春が動き始める日、外気はまだ冷たいが、梅の花に降り注ぐ日差しに温かさを感じる。土の下では、春の花々が着々と出番の準備をしているような … 。
(写真と文 大谷 恭子)

立春や心にちょんと鬼がいて
坪内稔典

 

2015年1月(2)
 
   

 

 

   
新社会人に贈る言葉に
1月12日、横浜では全国最大規模の成人式が行われ、駅周辺には振袖姿が目立った。成人の日といえば、何十年もの間、某酒造会社が新聞に掲載する広告「新社会人に贈る言葉」がある。かつては、開高健、山口瞳、吉行淳之介等の名文が、最近はずーっと伊集院静氏の文章が載っている。私は毎年、この広告文を楽しみにしている。
(写真と文 大谷 恭子)
真の大人というものは、誰かのためにベストをつくす人だ。金や出世のためだけに生きない、卑しくない人だ。
(2015.1.12 掲載広告文からの抜粋)

 

2015年1月(1)
 
   

 

 

   
頌春の候、街の表情
今年の干支は「乙未(きのとひつじ)」、紆余曲折を経ても、草木が従来の好ましい先へと伸びていくよう努力すれば、必ず進展がみられる年だそうです。頌春の街の表情をみていると、そうした爽やかな気概が私の心にも伝わってきました。羊は、群れをなして行動することから、家族の平和の象徴ともいわれます。今年1年、皆様のご家族の上に、楽しい好いことが沢山訪れますように!
(写真と文 大谷 恭子)

初春の羊の顔のいとやさし
森理和

2014年

2014年12月(3)
 
   

 

 

   
去年今年
2014年12月22日は、太陽と月の周期が19年に1度重なる「朔旦冬至」だった。この日より太陽も月も生まれ変わり、運気が上がり始めるといわれる。古く中国では この日に特別の祝賀が行われ、我が国でも宮中で節会が長く続けられたという。(入江相政氏の「宮中歳時記」) 
この吉日の続きとして訪れる2015年は、穏やかな佳い年であるに違いない。またそうあって欲しいと願う。
(写真と文 大谷 恭子)

去年今年祈りの中にある時間
稲畑汀子

 

2014年12月(2)
 
   

 

 

   
12月の街の灯り
街のイルミネーションが美しいこの時期、私は毎年東京ミッドタウンを訪れる。今年のテーマは、“宇宙旅行”。ノーベル賞の青色LEDを反映してか、青い光が一際幻想的に輝いていた。この灯りの彼方の空遠く、いまも刻々と宇宙への長旅を続けている“はやぶさ 2 ”のことを想った。
大きなミッションを担い、皆の声援と願いを背に、健気に進んでいる姿を…
(写真と文 大谷 恭子)

見上げれば地球でありし冬の空
寺門丈明

 

2014年12月(1)
 
   

 

 

   
Sweet Dreams
二胡奏者のジャー・パンファンさんが奏でる “Sweet Dreams” という曲に心惹かれた。
夢に対する感じ方は、若い日と現在とでは、かなり違っている。Sweet Dreams とは、かつて自分の中を通り過ぎて行った幸せな時間、その大事な思い出をいつまでも持ち続けることなのではないかと、晩秋の美しい彩の景色を眺めながらふと考えた。
(写真と文 大谷 恭子)

秋惜む旅のつづきのやうな朝
稲畑汀子

 

2014年11月
 
   

 

 

   
トスカーナの空
地中海松と糸杉が青空に映えるトスカーナ地方の古都を巡り、ルネッサンス期のフレスコ画を観て歩いた。石畳の坂道を上ったり下ったりしながら、空を見上げると、自然に ♪ “ うるわしき南の国”という 'O sole mio のメロディを口遊みたくなった。修道院の壁画にあるような500年前の修道僧たちは、この同じ空にどんな想いを馳せたのだろう。
(写真と文 大谷 恭子)

秋深し寺院の静寂ことさらに
辰巳あした

 

2014年10月(2)
 
   

 

 

   
ゆれるコスモス
今年限定のコスモスがいま見頃という記事を読み、横浜イングリッシュガーデンに出かけた。
華奢に見える花だが、風に吹かれてしなやかに立つ姿に強さを感じる。昔読んだ庄司薫の小説『さよなら怪傑黒頭巾』の中に、“我に大力量あり、風吹かば即ち倒る”という禅の言葉が引用されていたことを思い出した。主人公はこの言葉がえらく気に入っていて …。コスモスもこれに当てはまるのかも。
(写真と文 大谷 恭子)

コスモスの風のやうなる日もありき
高千夏子

 

2014年10月(1)
 
   

 

 

   
ヨコハマトリエンナーレ2014
横浜美術館で開催中の現代アート展「華氏451の芸術・世界の中心には忘却の海がある」に出かけた。前に館長さんや担当された学芸員の方から見どころを拝聴していたにもかかわらず、コンセプトを理解するのは難しかった。入り口正面に配置された『アート・ビン』(芸術のゴミ箱)は、参加型プロジェクトなので、私も20年前に描いた油絵を捨てさせていただこうかと思っている。
(写真と文 大谷 恭子)

果てのなきことを果てとし天高し
蔦三郎

 

2014年9月
 
   

 

 

   
「美術の秋」の始まり
涼しくなると、旅に出たくなる。そして行き先々で何となく訪れるのが美術館。福岡市美術館では福岡藩主・黒田家に伝わる美術品の特別展が開かれていた。館の正面左手には、草間彌生さんの彫刻「南瓜」が設置されており、館内右手には、子供のための「キッズコーナー」もある。それにしても、最近多くの美術館に草間彌生さんの水玉模様の彫刻があるのは…
(写真と文 大谷 恭子)

地球、月、太陽、そして人間も、
全ては水玉で出来ているの、
無数の水玉によってね。
草間彌生

 

2014年8月(2)
 
   

 

 

   
晩夏、銀座の昼下り
残暑の続く中、久しぶりに銀座を歩いてみた。きれいなブティックの並ぶ通りは、意外に閑散としていて、主の買い物の間、道行く人を眺めている犬は何を考えているのだろうと想像した。また、外国人旅行者がカメラに収めようとしている興味の対象をそっと追ってみたりした。半世紀以上にわたって私の目に映ってきた銀座の姿、そしてこの心象風景を共有できる人は…
(写真と文 大谷 恭子)

生き方を柔らかくして晩夏かな
柴田朱美

 

2014年8月(1)
 
   

 

 

   
夏、蓮華咲く
いま横浜・三溪園では早朝から蓮の花見ができる。創設者・原三溪は、実業家である一方、多くの高名な芸術家を支援したことで名高い。大観、観山もここで絵を描き、漱石や芥川龍之介もこの庭園を訪れている。フィレンツェのロレンツォ・デ・メディチのような人だったのだろうかなどと想いながら、清涼な空気の中で蓮を眺めた。
(写真と文 大谷 恭子)

蓮の葉のこみ合ふ底の水しづか
上野さち子

 

2014年7月
 
   

 

 

   
鳩に餌を与える少女
どの国を訪れても、街角で鳩と戯れる子供の姿をよく見かける。かつて自分にもあのような無邪気な時代があった…
とぼけた顔で餌をもらう風情からは想像し難いが、鳩には優れた認知能力があるのだとか。バッハとシェーンベルクの曲を聞き分けたり、モネとピカソの絵を区別できるというのだから驚きである。
(写真と文 大谷 恭子)

♪ 街のどこかの かたすみに
愛にはぐれた 鳩がいる
ダカーポ「鳩の詩」より

 

2014年6月
 
   

 

 

   
ジューンブライド
バルト三国を旅し、訪れた先々でジューンブライドの晴れやかな姿に出会った。
“写真を撮らせていただいても?”ときくと、“喜んで”とポーズまでとってくれた。美しい笑顔に受かって、心からの祝福を送り、お互いに手を振って別れた。再び会うことのない人に対し、幸多かれと願う気持は、私の心にも明かりをともした。
(写真と文 大谷 恭子)

山のあなたの空遠く
 「幸」住むと 人のいふ
 カール・ブッセ

 

2014年5月(2)
 
   

 

 

   
『今年もユリノキの花が』
花がチューリップに、葉が半纏に似ていることから “tulip tree”とも “ハンテンボク”とも呼ばれるユリノキ。いま、東京国立博物館、桜田門内掘通りなどで、この花を見上げることができる。花があまりにも大きいので、ミツバチがミツの中におぼれそうになるのだとか…。何だか心おおらかになる不思議な花である。
(写真と文 大谷 恭子)

花あればこの世に詩歌立ち上がる
子規

 

2014年5月(1)
 
   

 

 

   
『もう一つの五月の歌』
毎年、春になるとお向かいの屋根の隅に雀が巣を作り、しばらくすると 我が家の庭にも親子で遊びにくるようになる。伝説では、雀はお釈迦さまが病気の時、世界中のどの鳥よりも早く、お洒落もせずに駆け付け、お釈迦様を喜ばせたという。雀を見ていると、何故かメンデルスゾーンの歌曲『もう一つの五月の歌』が頭に浮かぶ。急かされているような節回しのせい? 
(写真と文 大谷 恭子)

雀子や学問にうとく見え給ふ
子規

 

2014年4月(2)
 
   

 

 

   
新緑の季節
閑静な住宅街で、人懐っこい一匹の犬に出逢った。しきりに挨拶してくれている気がして、背景の塀を見上げると、大きな楠の新芽がやわらかな色調で 輝いていた。小鳥も犬も人も自然も、みんな春の優しさの中で、交流しているように思えた。谷川俊太郎さんの「春に」という詩が心に浮かんだ。“この気もちはなんだろう”と。
(写真と文 大谷 恭子)

心解く新緑といふやすらぎに
村上悦子

 

2014年4月(1)
 
   

 

 

   
桜並木の道を
満開の桜並木の道を、自転車に乗った子供たちが風のように駆け抜けて行った。何年か過ぎたいつの日か、めぐってきた同じ季節の中で、あの子供たちは、桜の下のこの光と空気、薄い色合い、頬に感じた風をふと思い出すだろうか。
子供も大人も皆が桜を愛でながら歩いて行く道、かなしさに似た美しい時が流れていた。
(写真と文 大谷 恭子)

大空の鏡の如きさくらかな
高濱虚子

 

 

2014年3月(2)
 
   

 

 

   
春彼岸
お墓参りにゆく途中、いろいろ美しい花に出会った。ソメイヨシノより一足先に咲く彼岸桜、ハッとするような白さが青空に映えるハクモクレン、イタリアの男性が愛する女性に贈るというミモザの花も。春彼岸、故人に寄せる想いは人それぞれであろうし、心に去来する春の日の記憶(影像)も。
(写真と文 大谷 恭子)

土手にたたずむ母の夢みる
重信房子

 

2014年3月(1)
 
   

 

 

   
川村美術館の散策路
都心から少し離れた佐倉市にある川村美術館を訪れた。広大な敷地内の散策路を歩き、可憐な雪割草や、“春の妖精”と呼ばれる片栗の花に出会えた。この花は遠く万葉の時代には堅香子という名で詠まれ、発芽から開花まで8年もかかるという、希少な存在…。それが、こんなところで、ひっそりと群生している姿に、何となく心動かされた。
(写真と文 大谷 恭子)

時流れきてかたくりの一つ花
加藤楸邨

 

2014年2月
 
   

 

 

   
春は名のみの…2月の雪
一夜明けると、外は銀世界に変っていた。ああ寒そう !と感じた。以前、雪国生れの友人が「雪を見ると故郷を思い出すせいか暖かいと感じる」と言っていたのを思い出す。寒暖の感覚は、温度計ではなく、心で計られるものなのだろうか。 早春の白い花々を飾り、温かい部屋にいて、窓越しに雪景色を眺めた。
(写真と文 大谷 恭子)

春の雪こころに降らせ籠りゐる
能村登四郎

 

2014年1月(2)
 
   

 

 

   
大寒、動物園では
大寒、動物園では、陽射しを求めて、カンガルーの一族が日向ぼっこをしていた。親は子供たちに、故郷のオーストラリアの広い草原の話でも聞かせているのだろうか。また、南米産で厳しい寒さが苦手というフンボルトペンギンたちも、陽だまりに集まってきていた。
(写真と文 大谷 恭子)

冬だ、冬だ、何処もかも冬だ
 見渡すかぎり冬だ
その中を僕はゆく
 たった一人で――
高村光太郎「冬の詩」より 

 

2014年1月(1)
 
   

 

 

   
寿ぎの花々
厳しい寒さの中に咲く清楚な花々が、 寺社に彩りを添えている。梅の花に寄り添うようにマンリョウが、仄かな芳香を漂わせながら蝋梅が、そして凛とした風情で白い椿が咲いていた。初春を寿ぐ気持ちで寺を訪れた人々に向かって、花の方から「佳い年を!」と声をかけてくれているような …
(写真と文 大谷 恭子)

初花の白玉椿剪るも幸
能村登四郎

 

2013年

2013年12月(2)
 
   

 

 

   
冬の海
忙しいと言われるこの時期に、海に出かけ白い波しぶきをのんびり眺めてみた。暇人にしかできないことをしていられるという幸せ。岸洋子さんの歌「海よおしえて」の歌詞がふと頭に浮かぶ。♪弱い私がこれからも夢を消さずにいるように、海よ海よこの胸に…。
帰り道 私と同じような暇人の何人かとすれ違った。
(写真と文 大谷 恭子)

冬の海見たくて一人バスを待つ
橋本美奈子

 

2013年12月(1)
 
   

 

 

   
街はいま…
いま、街の至るところで、優しい表情をしたサンタクロースに出会える。お世話になった人に何を贈ろうかと考えつつ、店に入ると、軽やかなリズムのクリスマスソングが流れていたせいか、今年もまた明るい彩りの鉢植を選んでしまった。部屋にあのサンタさんに似たユーモアと温かな雰囲気を届けられますようにと願いながら。
(写真と文 大谷 恭子)

クリスマス薩摩切子の赤と青
伊藤以玖子

 

2013年11月
 
   

 

 

   
玉堂美術館
多摩川上流の御岳渓谷沿いに、清々しい佇まいの玉堂美術館がある。日ごとに紅葉が深まるこの季節、枯山水の庭園を前にすると静謐の中に心が安らいでくる。
川合玉堂は、御岳の自然が気に入り、晩年の10余年をこの地で過ごしている。あの数々の優しく、そして格調高い作品群は、このような場所で描かれたのかと想像した。
(写真と文 大谷 恭子)

紅葉にも旬のひと日のありと言ふ
竹内喜代子

 

2013年10月
 
   

 

 

   
深秋
♪秋を愛する人は、心深き人… そのような人と一緒に美しい青空を見上げ、くっきりとひかれていく飛行機雲の清新な線を追い、若き日に諳んじた詩の一節を心に浮べ、何も語らず、黄葉に輝く木々の間を歩き、しみじみと秋を感じることのできる人、あるいはそうした思い出をもつ人は、幸せだと思う。
(写真と文 大谷 恭子)
秋深む風に日射しにせせらぎに
久世孝雄

 

2013年9月(2)
 
   

 

 

   
色づいた葉
朝夕の空気が少し冷たくなり、木々の葉が色づき始めた。鰯雲や風の音に秋の訪れを感じる。キーツの美しい詩 『秋に寄せて』 の中に、「春のうたはどこへ、どこへ。いや、思うまい、秋には秋の音楽がある」という一節がある。秋には過ぎた日への郷愁が潜んでいて、それが色づいた葉にも深みを与えるのであろう。
(写真と文 大谷 恭子)

いつとなく心をこめて踏む落葉
安部ひろし

 

2013年9月(1)
 
   

 

 

   
行く夏
遠くに八ヶ岳の雄姿を仰ぐことのできる清春芸術村を訪れた。猫じゃらしや薄が涼風になびき、桜の樹々の葉はまだ青々としていた。行く夏が、こんなところで道草を喰っている…と感じられた。美しさ、尊厳、希望、勇気等を、作品を通して世に発信した昭和の文人たちも、かつてはここに立っていたのだと想うと、感慨深かった。
(写真と文 大谷 恭子)

行く夏や何かさみしき思ひあり
伊藤セキ

 

2013年8月
 
   

 

 

   
夏と猫
暑い日が続く中、涼を求めて寺の境内に立ってみた。茅葺屋根の書院の前で “暑さなんてちっとも! ” という表情をした猫を見かけた。祖先が砂漠出身の動物のせいだからだろうか、それとも寺という静かな環境で育ったせいなのか、悠々としていて、我ら人間族より変化に柔軟に適応できそうに見受けられた。
(写真と文 大谷 恭子)

熱き熱き日に挟まれて秋立つ日
  三嶋隆英

 

2013年7月(2)
 
   

 

 

   
睡蓮と蓮の花
暗い水面に浮ぶ花の姿はいずれも似ているが、睡蓮の方は葉に切り込みがある。「光の画家」モネは、自邸の池を日本から輸入した睡蓮で埋め尽くし、美しい『睡蓮』の連作を世に残した。モネが日本を訪れることはなかったが、大の日本好みだったとか。早朝の横浜三渓園で、睡蓮と蓮の池を眺めつつ モネを想った。
(写真と文 大谷 恭子)

睡蓮の余白探して亀の首
藤原照子

 

2013年7月(1)
 
   

 

 

   
梅雨明け、都心の昼下がり
近年、都心にも緑の憩いのスペースが増えてきた。ミッドタウンの昼下がり、ビルの外に出てみると、美しい芝生がひろがりスプリンクラーが涼やかに散水していた。世の中には、一寸の光陰も軽んじることなく猛烈に仕事をしている人もいれば、オフィス街にいてもまるでリゾート地にいるかのような長閑な時を送っている人もいる …
(写真と文 大谷 恭子)

白南風や天の使ひの鳩一羽
村越化石

 

2013年6月
 
   

 

 

   
雨に咲く紫陽花
“ 幽界の夢でも見てゐるやうな、青白い微笑を目尻にもってゐる花 ”と薄田泣菫が描写した紫陽花。梅雨時、この花を眺めていると、雨もさほど悪くない気がしてくる。泣菫は「梅雨の雨のなかに香を聞くほど心の落ちつくものはありません」とも書いている。紫陽花に似合う香は何だろう。沈香か白檀だろうか。
(写真と文 大谷 恭子)

紫陽花の花のうれひを壺にさす
池田光子

 

2013年5月(2)
 
   

 

 

   
龍宝寺の矢車草
鎌倉には花の寺が多いが、訪れる人が少ないのに、境内に野趣に富んだ美しい花々を咲かせているのが龍宝寺。ツタンカーメンの棺から発見された時も「わずかに青い色を残していた」とされる矢車菊が、いま最盛期。この花と雛罌粟とヒナギク等の群生は、モネの絵の色調を想わせ、見事である。
(写真と文 大谷 恭子)

驟雨来て矢車草のみなかしぐ
皆川盤水

 

2013年5月(1)
 
   

 

 

   
薔薇が咲いた
たった一輪のバラであっても、やはり心は明るくなる。花の中でも薔薇には特に強い生命力が宿っているように感じる。ドイツのヒルデスハイムには、教会の屋根まで届く「千年の薔薇」と呼ばれる樹があった。三春滝桜も樹齢千年を越えるというが、双方ともに、これからも長く長く咲き続けて欲しい。
(写真と文 大谷 恭子)

茨垣犬が上手にもぐりけり
一茶

 

2013年4月(2)
 
   

 

 

   
若葉の輝けるとき
街並みを歩くと、あちこちの家の蔦の若葉が、陽射しを受けてキラキラ輝いている。昔、油絵の先生が「あの若葉の自然の色を出すにはね、緑の上にイエローオーカーを重ねるといいのだよ」と教えてくれた。空の色も、木々の葉の色も、その奥に沢山の異なる美しい色を秘めている。
(写真と文 大谷 恭子)

未完なる若葉の青さやはらかし
近藤喜子

 

2013年4月(1)
 
   

 

 

   
桜散る並木道を
花の中でも、殊に桜は移りゆく季節をはっきり教えてくれる花だと思う。桜を愛でる想いは、西行ならずとも日本人に共通したものであろうが、最近の私は、儚さより、もっと明るい-“さよなら三角 また来て四角 ”とか、♪長かろうと短かろうと わが人生に悔いはない-というような、時の流れとして受け止めている。
(写真と文 大谷 恭子)

残花散る風のソナタを奏でつつ
小澤克己

 

2013年3月
 
   

 

 

   
春の浜辺
光る風の中、葉山の浜辺を歩いてみた。寄せる波は冷たそうだったが、渚ではもう素足で濡れた砂の感触を楽しむ親子の姿も見られた。土手にはカタバミの花が咲き、どこからかメンデルスゾーンの『春の歌』が聞こえてきそうだった。
“春です。希望の春です!”と呼びかけられているような …
(写真と文 大谷 恭子)

風光るすべてが叶うやうな空
大谷昌子

 

2013年2月(2)
 
   

 

 

   
富士山の日(2月23日)
古の万葉人・山部赤人に“神さびて高く貴き”と讃えられた富士は、いまも日本人の心に共通した想いを宿らせている。静岡県と山梨県では、富士山について考える「富士山の日」を制定した。あ、富士山見えた!という時に感じるあの幸せな気持ちの在り処を、時には私も深く考えてみたい。
(写真 小関康雄さん
文章 大谷恭子)

北に富士南に我家梅の花
高浜虚子

 

2013年2月(1)
 
   

 

 

   
春の息吹
立春も過ぎて、風はまだ冷たいが、陽は暖かく、外に出てみるとあちこちで春の気配が感じられる。If Winter comes,can Spring be far behind ? (冬来たりなば、春遠からじ)、英国の詩人 シェリーの“西風の賦”。日本にも“朝の来ない夜はない”という諺がある。春風は何となく希望を運んできてくれるよう。
(写真と文 大谷 恭子)

早春の心が先にありにけり
稲畑汀子

 

2013年1月(2)
 
   

 

 

   
夕暮時のお濠端
い皇居のお濠を泳ぐ優雅なコブハクチョウの姿は今も昔も変わらない。大手町から日比谷に続く路もあまり変らない。濠に映るビル群はずいぶん変わったけれど。私はこの通りを何度歩いたことだろう。社会人になったばかりの頃、新しい友人たちと… あれから幾度も季節が巡り、多くの出逢いがあり いまここに私がいる。
(写真と文 大谷 恭子)

白鳥の白をにじませ夕景色 
遠藤若狭男

 

2013年1月(1)
 
   

 

 

   
鶴岡八幡宮
初空の下、清々しい気分で参拝している人々を見ていると、今年一年が全ての人にとって、良い年でありますようにと祈りたくなる。そして、私も善い心がけを持ち続けるよう努めますと誓うのだが…元日の鎌倉は晴天、広い境内のあちこちに淑気が立ち込めていた。沢山の鳩が子供たちと遊んでいる光景にも。
(写真と文 大谷 恭子)

初空の雲なく心澄み渡る
長沢よしや

2012年

2012年12月(2)
 
   

 

 

   
年の暮れの御苑
年の暮の新宿御苑を歩いてみた。花の時期、独特な形の葉を茂らせ見事な姿で聳え立っていたユリノキが、いまはまるで空にモノクロで模様を描いたような風情で枝を拡げていた。来年はどんな年になるのかと考えながら歩を進めると、前方に明るい一角があり、そこにはもう清らかなロウバイの花が咲き始めていた。
(写真と文 大谷 恭子)

はるかなるものへ目のゆく年の暮 
中村洋子

 

2012年12月(1)
 
   

 

 

   
東京ミッドタウン2012
冬の夜を彩るイルミネーションは、年毎に洗練されてきているが、いま、東京ミッドタウンの芝生広場に繰り広げられている光と音のショウは、一際幻想的で美しい。今年のテーマは“誰かが誰かのサンタクロース”。誰かの幸せを祈り、心に仄かな灯りをともすって素敵だなあと思う。
(写真と文 大谷 恭子)

人の幸祈る挨拶クリスマス 
伊吹之博

 

2012年11月
 
   

 

 

   
燃える銀杏
水面に映る黄金に染まった大銀杏。その中を水鳥が楽しげに泳いでいる。目を上げると銀杏の圧倒的な存在感。銀杏は逆光で見る方が美しい気がする。樹齢何百年という樹が光を背にしてたたずむ姿は雄々しいが、陽射しを正面から浴びて輝く様には何故か別れの予感があり、寂しくなる。
(写真と文 大谷 恭子)

振り向けば銀杏落葉の舞ふばかり
岡田誠吾

 

2012年10月
 
   

 

 

   
ゆれるコスモス
秋桜と書いてコスモス。日本の秋の代表花。この花を眺めていると、何故か風がなくても空気の流れを感じる。そして遠い昔、母親に手を引かれて歩いたコスモスのゆれる故郷の道や、その時の母の手の温もり、誰かに守られているというのはいいものだなあと思っていた自分の姿などが、脳裏に浮かぶ。
(写真と文 大谷 恭子)

コスモスに素直な風の道がある
角直指

 

2012年9月(2)
 
   

 

 

   
秋の陽射し
いま、江の島では一足早く春を告げるチューリップが見頃を迎えている。子供が画用紙に初めて描く花、♪ …赤、白、黄色、どの花見てもきれいだなー♪ と歌われる中で、黄色がやや多いようにも感じられる。西洋では、黄色はキリストを裏切ったユダの着衣の色という理由で、あまり好まれない。もうそんなことは言わずにどの色にも独自の良さがあると認められたなら。 
(写真と文 大谷 恭子)

小鳥来るここに静かな場所がある
田中裕明

 

2012年9月(1)
 
   

 

 

   
立ち返る季節
毎年、この季節になると、何となく吾亦紅に出会いたくて北鎌倉の寺に足が向かう。予期したとおりに、今年もまたつつましやかに、そして毅然とした風情で咲いていた。好きな花は?ときかれると、すぐにワレモコウと答えたくなるのに、何故かそれを秘めておきたくなる …、そんな花である。
(写真と文 大谷 恭子)

吾亦紅控え目といふ目立つもの
稲垣汀子

 

2012年8月(2)
 
   

 

 

   
往く夏の雲
空を見上げると ああこの夏も終わりだなあと思う。芥川龍之介は 小学校 2,3年の頃、先生に “美しいと思うもの” と “可愛いと思うもの” を書けといわれ、前者に「雲」、後者に「象」と書いたところ、先生は「雲などどこが美しい? 象も唯大きいばかりじゃないか」と窘めた後、その答案に×印をつけたと『追憶』に記している。私は美しい雲に出会うと、何故かこの一節が心に浮かぶ。
(写真と文 大谷 恭子)

夏雲の湧き立ち主張ある如し
永井雪狼

 

2012年8月(1)
 
   

 

 

   
十和田市のアート広場
ここ数年間の十和田市の変容ぶりは著しい。同市現代美術館周辺のアート広場に配置されているチェ・ジョンファさんの馬のモニュメントは、未来への夢を鮮やかな花々に託したもの、オノ・ヨーコさんの“念願の木”は、観客が自分の願い事を短冊に記し、木に吊していく参加型作品…。因みに同市のまちづくりのコンセプトは、人と自然との共生、豊かな心を育む「創造都市」。
(写真と文 大谷 恭子)

 

2012年7月(2)
 
   

 

 

   
昔ながらの小川
い梅雨の晴れ間の午後、次大夫堀(ジダユウボリ)公園を散策した。ここには昔ながらの農村風景が復元されていて、水路や水田、古民家などもある。ザリガニ獲りに夢中になっている父子、メダカを追って一人勇敢に小川に入っていく女の子に出会った。半世紀以上の時が流れていても、人は子供時代の情景を心の中に容易に復元できる…
(写真と文 大谷 恭子)

てのひらに目高も遊び風光る
熊丸淑子

 

2012年7月(1)
 
   

 

 

   
春を告げる花
奥入瀬はいま新緑の季節。渓流沿いのブナやミズナラの林を歩くと、苔むした美しい岩、ひっそりと咲く野辺の花、清冽な滝に出会い、自然は何と気持ちがよいのだろうと感じる。
一方、このような長閑な景色の上にも暗雲が立ち込め、暴風雨が吹き荒れる日もあることを想った。以前、フランスのデュランス川の畔に立った時もなぜか同じことを考えていたなあと思い出した。
(写真と文 大谷 恭子)

 

2012年6月
 
   

 

 

   
クレマチスの丘
富士山麓の緑豊かな丘稜にひろがる「クレマチスの丘」を訪ねた。そこには、花いっぱいの庭園、2000点以上のビュッフェの作品を収蔵する「ビュッフェ美術館」(現在休館中)や、「井上靖記念館」、「ヴァンジ彫刻庭園美術館」等が点在する。この丘に立ち、薫風に包まれていると、ああ、これが静岡の風なのかと何となく想う。井上靖さんの小説を愛読したせいだろうか。
(写真と文 大谷 恭子)

薫風や言葉飾らぬ人とゐて
芳賀雅子

 

2012年5月
 
   

 

 

   
春風の中のベンチ
静かな自然の中に置かれたベンチに出逢うと なぜか心和む。そこに誰も座っていなくても、 人の温もり、想いのようなものが伝わってくる気がする。東山魁夷さんの詩画集 『コンコルド 広場の椅子』の中に、 “悲しい人も 楽しい人も 陽気な人も 淋しい人も 私の上に腰をかける” という椅子の独り言がしるされているが、私もそういう椅子の声に耳を 傾けてみたいと思う。
(写真と文 大谷 恭子)

心解く新緑といふやすらぎに 
村上悦子

 

2012年4月
 
   

 

 

   
春の小川は
たしか、古いフランス詩集の中に、「季節が マントを脱ぎました、川も泉もせせらぎも、 だれもがきれいな新しい衣をまといました」 という春を謳った詩があったと思う。
 4月、外に出ると、景色が、春色に衣替えした ことに気づく。小川で遊ぶ鳥たちの中にも、 春になると羽を華やかな美しい色に変えるもの もいるのだとか。
(写真と文 大谷 恭子)

海に入ることを急がず春の川 
富安風生

 
 
季節の風景は2012年3月までのトップページを飾っていた連載で、2012年のサイトリニューアルに伴い、穏やかな風景として装いを新たにして継続連載されました。
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