連載コーナー


 (2016年1月~2018年4月)
 
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2018年

2018年4月(最終回)

 

 

白金台の旧朝香宮邸

時折、非日常の中に自分を置いてみたくなる。晴朗感と調和に満ちた自然に囲まれていると、自分が人生の時を刻む音に耳を傾けているような気がしてくる。
長期にわたり連載させていただいた、この「穏やかな風景」は、これが最終回。最後に、ショパンのEtude Op10-3をお届けしたい。

(文と写真:大谷恭子)

春深し心のついて行けぬほど  稲畑汀子

 

 

2018年4月(1)

 

 

水芭蕉の美しい季節

長い間、水芭蕉といえば尾瀬に咲く夏の花だと思い込んでいたが、箱根湿生花園では春咲くことを知り、以来4月になると毎年訪れている。葉と白い花のコントラストが爽やかで、メンデルスゾーンの音楽の世界に通じる気がしなくもない。♪おおひばりという歌がどこからか聞こえてくるような…。

(文と写真:大谷恭子)

佇めば心澄みゆく水芭蕉  山田怜子

 

 

2018年3月(2)

 

 

コインブラ大学の学生たち

欧州屈指の名門・ポルトガルのコインブラ大学。学生の正装は黒マント。
かつて男子校だった頃、“女性は好きな男性のマントの裾を裂く”という習慣があり、裾のボロボロのマントが誇らしかったのだとか。修了証書を手にし、輝かしい顔をしていた学生たちの前途に幸多かれと祈った。

(文と写真:大谷恭子)

別れあり出会ひもありて卒業期  鈴木としお

 

 

2018年3月(1)

 

 

ナザレに沈む夕陽

ポルトガルの漁師町ナザレで、日没時間に合わせ、浜辺に出かけた。
ナザレは、フランス映画『過去を持つ愛情』の一場面、アマリア・ロドリゲスの歌うファド「暗いはしけ」の旋律とともに、なぜか強烈に心に焼き付いていた地名である。そのせいか、この町でみる夕陽に郷愁を覚えた。

(文と写真:大谷恭子)

音階を知ってゐるかに春の風  宮内とし子

 

 

2018年2月

 

 

昼下がりの湘南海岸

晴れた冬空に誘われ、湘南海岸に出かけた。立春を過ぎ、心做しか海風にも優しさと温かみを感じる。犬を連れて散歩していた夫人が、途中出会った人と犬を挟んで挨拶を交わし、別れて行く。何となく、メンデルスゾーンの『静かな海と楽しい航海』の(文と写真:大谷恭子)メロディが心に浮かんだ。

(文と写真:大谷恭子)

さざなみはみな立春の日のかけら  長谷川鉄夫

 

 

2018年1月(2)

 

 

BEAUTIFUL NAME

♪ Every child has a beautiful nameという曲が毎日のように流れていた「国際児童年」(1979年)、あれからもう40年経つ。子供の笑顔はいつの時代にも大人の心を和ませる。
それぞれにすばらしい名前を持つ子供たちの笑顔を守るため、私たち大人に何ができるかと…。

(文と写真:大谷恭子)

大寒の日より展けてゆく未来  稲畑汀子

 

 

2018年1月(1)

 

 

戊戌(つちのえいぬ)の年

今年の干支は戊戌(つちのえいぬ)縁起の良い年だといわれる。犬は、飼い主と散歩している時が最も幸せそうに見える。独りでいるとき、時として哲学者のような考え深い表情もするし、子供のような無邪気さで遊んでいることもある。ショパンの「子犬のワルツ」のように

(文と写真:大谷恭子)

なつかしき筆ぐせに会う明の春  伊藤和子

 

 

2017年

2017年12月

 

 

錦秋とモーツァルト

鎌倉・東慶寺では、いま紅葉が見事な輝きを見せている。かなり前に読んだ宮本輝の小説『錦繍』。あの作品の根底にはモーツァルトの曲が流れていた。燃える様な彩りの葉と、足元の枯葉が散り敷く道…。いずれも哀しく、美しく、愛おしい。家に帰りもう一度モーツァルトを聴いてみたくなった。

(文と写真:大谷恭子)

透き通る風を纏ひて紅葉かな  尾堂燁

 

 

2017年11月(2)

 

 

アサヒビール大山崎山荘美術館

大正/昭和初期に活躍した実業家加賀正太郎氏が自ら設計し、京都近郊の山間の地、山崎に建てた山荘。その後、時代の変遷に伴い老朽化が進んだものを京都府と山崎町が協力し、1996年にアサヒビール運営の現美術館に蘇らせたという。建物や内装は、建設当時のクラシックな姿に修復され、現在ここで「有元利夫展」が開催されている。

(文と写真:大谷恭子)

晩秋の似合ふ館の薄灯り  松田和子

 

 

2017年11月(1)

 

 

ケルト美術の不思議

アイルランド西部のイニシュモア島を訪れた。人口900人、お巡りさん2人、医者1人という断崖絶壁に囲まれた島。ここには、5500年前に既にケルト以前の古代人が住んでいたという。遺跡やケルトの伝統紋様等を目の前にし、日本の縄文時代もそう遠くない昔のような気がしてきた。

(文と写真:大谷恭子)

さて どちらへ行こう 風が吹く  種田山頭火

 

 

2017年10月

 

 

アイルランドのタラの丘

アイルランド人の心の故郷とも呼ばれる“タラの丘”に立った。海と異国に強い憧れを抱いた明治生れの詩人丸山薫は、「汽車にのって」アイルランドのような田舎に行こう ♪と詠っている。もしかすると、彼が夢みた田舎は、この丘のような景色だったのかもしれない。

(文と写真:大谷恭子)

澄む時はあくまで澄んで秋の空  正岡子規

 

 

2017年9月(2)

 

 

秋の空

最近、朝 窓を開けると、何と美しい空!と感嘆する。『四季の歌』では、♪秋を愛する人は 心深き人 となっているが、愛を語らなくても、何となくケルティック・ハープでも聴きたい気分になってくる。秋の空は、清らかで、静かでどこまでも青い。そういえば、青を含む漢字には、奥深い意味のものが多い?

(文と写真:大谷恭子)

いつとなく雀の並ぶ秋の空  吉成美代子

 

 

2017年9月(1)

 

 

オシロイバナ(白粉花)

別名「夕化粧」。夕方4時ころ開花し、明け方には萎んでしまう一夜限りの命の花。
英名は“four o'clock”。また、一つの株から異なる色の花を咲かせるので“Marvel of Peru”(ペルーの不思議)とも呼ばれる。ツクツクボウシの鳴き声を背景に、花の間を小さなバッタが楽しそうに飛び回る様子をしばし眺めていた。

(文と写真:大谷恭子)

白粉花にまたしずかなる宵のきし  坂本碧水

 

 

2017年8月(2)

 

 

晩夏の三浦海岸

海と夏を好む人と、山と冬?を好む人がいる。私は前者なので、どんなに暑かった夏でも、その終盤には一抹の寂しさを感じる。夏の海を見ておこうと、三浦半島を訪れた。
40年以上前にリリースされた「岬めぐり」は、この辺りの情景を詠ったものと聞く。♪この旅 終えて 街に帰ろう というには、街から近すぎるけれど。

(文と写真:大谷恭子)

又一つ旅を終へたる晩夏かな  稲畑汀子

 

 

2017年8月(1)

 

 

熱海の「起雲閣」

「熱海の三大別荘」の一つ。大正8年、海運王・内田信也により建てられたのち、昭和22年から旅館へと生まれ変り、谷崎潤一郎、志賀直哉、太宰治ほか多くの文豪が宿泊した。彼らはどんな表情で、この緑豊かな庭園を眺めていたのだろう。建物の随所に贅が尽くされていて、気品と優雅さの感じられる歴史ある佇まいである。 

(文と写真:大谷恭子)

行く夏の雲を見てゐるひと日かな  浜中雅子

 

 

2017年7月

 

 

箱根のポーラ美術館

箱根仙石原のポーラ美術館に開館15周年記念展「ピカソとシャガール」を観に出かけた。いずれも20世紀美術を代表する著名な芸術家。ピカソは、「子供は誰でも芸術家だ。問題は、大人になっても芸術家でいられるかどうかだ」との格言どおり、91歳で他界するまで、子供のような好奇心を失わなかった。シャガールは、97歳まで。 

(文と写真:大谷恭子)

夏雲よ人みな流浪の旅にあり  鈴木一広

 

 

2017年6月(2)

 

 

会津若松城(鶴ヶ城)

土井晩翠の「荒城の月」に詠われたこの城は、2010年からの改修工事により、現在は荒廃した城という雰囲気は全くない。しかし、この地に立つと、やはり数々の波乱に富んだ歴史(戊辰戦争での1ヶ月に及ぶ籠城、白虎隊の悲劇、敗戦後極寒の地・斗南へと移住した藩士たちの辛酸等)に想像が及び、胸に痛みが走る。

(文と写真:大谷恭子)

万緑の中に小さく吾はあり  稲岡 長

 

 

2017年6月(1)

 

 

weeping lovegrass

子供の頃から空き地や土手でよく見かけていた草、和名:シナダレスズメガヤ。ある時、外国で長く暮らした知人から、欧米ではこの草を weeping lovegrass(泣きぬれる恋の草)と呼ぶと教えられた。それ以来、この草が陽光を浴びて風に靡く姿を目にすると、何となく ♪「悲しくて悲しくて」と歌っているような気がしなくもない。

(文と写真:大谷恭子)

道の辺の夏草に名のありや有る  千田百里

 

 

2017年5月

 

 

鎌倉の「旧華頂宮邸」

鎌倉の有名な花寺等へ通ずる道は、いつも人、人、人の波であふれているが、ここ「旧華頂宮邸」は、宅間ケ谷という谷戸の奥にあり、閑静な住宅地と緑に囲まれている。訪れる人は少なく、建物は、ヨーロッパの民家風で、端正で上品な雰囲気が漂う。苑内をしばらく散策し、近くの坂道を上ると麗しい5月の若葉が清々しかった。

(文と写真:大谷恭子)

鶯の鳴くやちいさき口あけて  与謝蕪村

 

 

2017年4月(2)

 

 

花の季節

庭の花々が一斉に咲き競い始めた。パンジー、クリスマスローズ、ジャスミンなど。花と対峙していると、私はいま幸せなのかと錯覚しそうになる。「人間は、誰でも、幼少時代には度々幸福と同居する」が、「長ずるに従って、幸福の訪れは間遠になって来る」と井上靖は記している。思い上がらず静かな目で物事を見なくては…

(文と写真:大谷恭子)

パンジーに言葉かけつつ庭にをり   渋谷ひろ子

 

 

2017年4月(1)

 

 

千鳥ヶ淵の桜

人はそれぞれ、心の中に自分にとっての懐かしい桜名所を持っていると想う。私には、それは“千鳥ヶ淵”といえようか。桜の季節には、会社の帰り、大手町から三番町辺りまでよく歩いた。桜は花の中でも寒色なので、どこか寂しげで感傷を誘うようだ。桜の中にいると、なぜかアイルランド民謡♪「なつかしき愛の歌」を思い出す。

(文:大谷恭子 写真:楳本龍夫)

日をくだく千鳥ヶ淵の桜かな    阿部ひろし

 

 

2017年2月

 

 

蒐集品を前に

年を重ね、蒐集品がいつの間にか増えてしまった。人形、書籍、絵画、陶磁器、そのほか各地で拾った貝殻や石ころ、松かさ等。最近は茶道具の干支の香合も。
そろそろ物を整理し、身辺をスッキリさせた方がよい時機なのにどうしたものか。今後、同じ趣味を持つ人を見つけ、少しずつ差し上げていこうかと…

(文と写真:大谷恭子)

春愁や古書に残れる蔵書票    水原春郎

 

 

2017年1月(2)

 

 

スメタナの「モルダウ」

いま厳寒のとき。外出をなるべく控え、日溜りで読書をしたり、音楽を聴いたりする。音楽には、いろいろな記憶を不意に鮮やかに蘇らせる作用がある。今回はスメタナの「モルダウ」。昔、自分が憧れていたものや、喜び、切なさ、懐かしい人々などを次々と思い出させてくれた。庭の花々にはもう春の息吹きが。

(文と写真:大谷恭子)

大寒やこころの揺れを貰ひけり    松沢久子

 

 

2017年1月(1)

 

 

啐啄(そったく)の機

啐啄同時という禅語がある。鳥の雛が孵ろうとして、殻を内側から突くことを「啐」、すかさず親鳥が外から突くことを「啄」というそうだ。すなわち、両者の呼吸がびったり合う理想的な時期の比喩。人生においてこのような好機に恵まれることは滅多にないと思うが、酉年に因み、多くの人に啐啄の機が訪れますように。

(文と写真:大谷恭子)

あらたまの年のはじめの声は鶏 鷹羽狩行

 

 

2016年

2016年12月(2)-2

 

 

ブルーライトヨコハマ

♪街の灯りが とてもきれいね…とつい口ずさみたくなるような、横浜・みなとみらいエリアのイルミネーション。週末は若者や家族連れで賑わう。冬の風物詩ともなっている「横浜赤レンガ倉庫」では、いま、ドイツの雪深いクリスマス市 が再現されていて、楽しい屋台も並んでいる。

(文と写真:大谷恭子)

たちまちに遠ざかる日々年の暮   稻畑汀子

 

 

2016年12月(2)-1

 

 

ブルーライトヨコハマ

♪街の灯りが とてもきれいね…とつい口ずさみたくなるような、横浜・みなとみらいエリアのイルミネーション。週末は若者や家族連れで賑わう。冬の風物詩ともなっている「横浜赤レンガ倉庫」では、いま、ドイツの雪深いクリスマス市 が再現されていて、楽しい屋台も並んでいる。

(文と写真:大谷恭子)

たちまちに遠ざかる日々年の暮   稻畑汀子

 

 

2016年12月(1)

 

 

枯葉舞う季節

北風に吹き寄せられ、散ってゆく枯葉。
その哀愁を詠った「枯葉」は、世界中でいろいろな歌手に歌われてきた。イヴ・モンタンやグレコのシャンソンもいいが私は、英国のギタリスト、エリック・クラプトンの “ Autumn Leaves”に惹かれる。
この曲が日本でリリースされたのは2010年、人生の哀歓を知り尽した晩年の曲。

(文と写真:大谷恭子)

春深し心のついて行けぬほど  稲畑汀子

 

 

2016年11月

 

 

初冬の伊良湖岬

渥美半島の先端にある伊良湖岬で数日過ごした。窓辺に座り、何時間も海を眺めていて飽きなかった。海釣りをしている人も、波飛沫を浴びながらずーっと立っていた。季節は巡るが、過ぎた時間は決してもどらない …そんなことを感じながら、穏やかな時を過ごせる幸せ。こういう非日常を大事にしなくては。

(文と写真:大谷恭子)

鷹ひとつ 見つけてうれし 伊良湖崎   松尾芭蕉

 

 

2016年10月(2)

 

 

山下公園の昼下がり

爽やかな秋日和の下、横浜の山下公園を散策した。犬を連れてそぞろ歩きしている人を多く見かけた。モザイクの施された階段を上っていると、なぜか、バルセロナのガウディのグエル公園を思い出した。海のずーっと向こうは、外国だと感じさせる港だからだろうか。いま、公園にはバラが美しく咲いている。

(文と写真:大谷恭子)

秋風と言へる清しき風吹ける   辰巳あした

 

 

2016年10月(1)

 

 

西方寺の曼珠沙華

別名「彼岸花」。「キツネのたいまつ」という可愛い名も持つ。真っ赤な曼珠沙華をかざして暗い山道を歩くキツネの姿を思い描くと、何だか微笑ましい。ここ横浜の西方寺には、赤のほか、黄色と白の曼珠沙華が群生する。まだ背丈の低い子供たちにとっては、これらの花は、ことのほか大きく目に映っているのではないかと…。

(文と写真:大谷恭子)

春深し心のついて行けぬほど  稲畑汀子

 

 

2016年9月

 

 

夏の終わりに

碧い空に白い雲、草花の上をわたる初秋の風。夏の終わりと秋の始まり。あんなに暑かったのに、過ぎ行く夏に、ノスタルジーを感じている。こういう感情の源泉はどこにあるのだろう。夏、帽子、トンボ、蜩の鳴き声、海、汽車の窓から見た風景、それを一緒に眺めてくれていた大人の眼差し …と、連想する情景をいろいろ辿ってみた。

(文と写真:大谷恭子)

秋めくといふ言の葉に励まされ   稲畑廣太郎

 

 

2016年8月

 

 

横浜ベイサイドマリーナ

時折、非日常の中に自分を置いてみたくなる。晴朗感と調和に満ちた自然に囲まれていると、自分が人生の時を刻む音に耳を傾けているような気がしてくる。
長期にわたり連載させていただいた、この「穏やかな風景」は、これが最終回。最後に、ショパンのEtude Op10-3をお届けしたい。

(文と写真:大谷恭子)

春深し心のついて行けぬほど  稲畑汀子

 

 

2016年7月

 

 

渋谷・Bunkamura

ふらんすへ行きたしと思へども、事件を憂い、せめては新しき服を着て、渋谷へ「西洋更紗トワル・ド・ジュイ展」を観に出かけた。マリー・アントワネットも愛した西洋更紗。高価な絹ではなく、木綿地を、手間のかかる織り柄でなく、プリント模様を愛した女人だったのに、奢侈の象徴のように受け止められ …。

(文と写真:大谷恭子)

その人に似合う涼しき色と見し    稲畑汀子

 

 

2016年6月(2)

 

 

鎌倉のイワタバコ

梅雨時のいま、鎌倉の数か所の寺社で岩煙草(イワタバコ)の花に出逢える。今回訪れたのは佐助稲荷神社。むかし源頼朝の夢枕に当社の神霊が現れたとの謂れがある。シダが生い茂り、苔むした岩陰にひっそりと咲く星形の小さな花。何かを発信しているような、そしてその声に耳を傾けてみたくなる気がした。

(文と写真:大谷恭子)

山路来てなにやらゆかし菫草    松尾芭蕉

 

 

2016年6月(1)

 

 

賀茂しょうぶ園

豊橋市の賀茂しょうぶ園を訪れた。「花しょうぶまつり」は、市が観光事業として力を入れているせいか、バスの乗車券売り場でうちわと市のキャラクター入り鉛筆と消しゴムを頂いた。花菖蒲、あやめ、かきつばたは、いずれも似た花だが、花菖蒲は花弁の元に黄色、かきつばたは白、あやめには網目状の模様があることで見分けられる。背丈が一番高く、花も大輪なのが花菖蒲。

(文と写真:大谷恭子)

花菖蒲一つ一つに格持てり    大橋晄

 

 

2016年5月

 

 

くりはま花の国

三浦半島の丘陵地帯にひろがる「くりはま花の国」では、いま、ポピーと矢車菊の最盛期。花畑から少し離れた場所で、湘南高校吹奏楽部の生徒たちが、演奏を披露していた。昔、英語の時間に習った「splendour in the grass(草原の輝き)」という詩をふと思い出した。花々も、生徒たちもまさにその輝きの中にあった。

(文と写真:大谷恭子)

草原の輝けるとき 花美しく咲きしとき 再びそれは帰らずとも 嘆くなかれ 

その奥に秘めたる力を見出すべし   ウイリアム・ワーズワース

 

2016年4月(2)

 

 

絵本 『The Missing Piece』

私の好きな絵本 - シルヴァスタイン作『ぼくを探して』。 まん丸ではない玉が、自分の欠片を探しに出かける話。 途中、歌ったり、ミミズと話したり、爽やかな花の匂いを嗅いだり…。 しかし、せっかく見つけた欠片も結局は手放してしまう。 いま、春の花々を眺めつつ、ふとこの絵本を思い出し、ページをめくってみた。「missing piece」のある幸せ。

(文と写真:大谷恭子)

一斉に咲き競う春惜む日に   稲畑汀子 

 

 

2016年4月(1)

 

 

山梨からみた4月の富士

富士急ハイランドにある 「フジヤマミュージアム」 には、近現代の画家が描いた富士山の秀作が展示されている。同じ富士でも、様々な捉え方があることに興味を惹かれ、対峙した画家の奏でる音のない音楽に耳をかたむけた。太宰治の 「富士には月見草がよく似合う」 という名文句は、山梨から見た富士のことだったと思い出した。

(文と写真:大谷恭子)

鶯晴れてよし 曇りてもよし 富士の山 もとの姿は 変わらざりけり
山岡鉄舟

 

 

2016年3月(2)

 

 

アンコール・ワットの朝日

かねてより一度訪れてみたいと思っていたアンコール・ワットを旅した。100年ちかく前にアンドレ・マルローを虜にしたクメール文化を、私自身の目で見、感じてみたかった。またこの度、いま多くの観光客が歩いているアンコール・ワット西参道の地味な修復工事に、上智大学アジア人材養成研究センターが20年も関わっていることを知り、深い感銘を受けた。

(文と写真:大谷恭子)

崩壊のあとの石塊にしばし立つ  虚しきものは静かさに似る
佐藤佐太郎

 

 

2016年3月(1)

 

 

春の湘南海岸

海と山とどちらを好むかで人を2種類のタイプに分けるとすると、私は前者に当たる。多分それは、子供の頃からいつも海に近い街で暮らしていたためだろう。現在も車を少し走らせると、海岸に行ける。海の表情は、天気、季節、心の在り方で様々に変わる。加山雄三さんでなくても時には『海 その愛』を海に問いかけてみたくなることがある。

(文と写真:大谷恭子)

春の海ときに鴎になりたくて  宮坂恒子

 

 

2016年2月

 

 

早春の東慶寺

光の春。外気はまだ冷たいが、青空の明るさに誘われ北鎌倉の東慶寺を訪れた。白梅の下をくぐり抜け、文化人のお墓が点在する裏山へと足を運んだ。暫くぶりにみる小林秀雄さんのお墓は、墓碑銘も定かではないほど苔むし、ひっそりと自然に溶け込んでいた。没後33年…。若い頃 愛読した氏の『ゴッホの手紙』を読み返してみたくなった。

(文と写真:大谷恭子)

美しい「花」がある
「花」の美しさという様なものはない

小林秀雄 「当麻」の一節

 

2016年1月(2)

 

 

逢えて嬉しかった

「人と動物の間に通う愛情の深さを示す象徴」として、東大農学部キャンパスに、上野博士とハチ公の像が建設されたのは、2015年3月。この像をみていると、“一緒にいて本当に楽しかった”という想いが、素直に伝わってくる。また、上野博士に逢えなくなってからのハチの孤独な晩年にも想像が及ぶ。幸せとは、心の通じ合える相手に出逢えること…

(文と写真:大谷恭子)

土堤を外れ枯野の犬となりゆけり   山口誓子

 

 

2016年1月(1)

 

 

春を告げる花

いま、江の島では一足早く春を告げるチューリップが見頃を迎えている。子供が画用紙に初めて描く花、♪ …赤、白、黄色、どの花見てもきれいだなー♪と歌われる中で、黄色がやや多いようにも感じられる。西洋では、黄色はキリストを裏切ったユダの着衣の色という理由で、あまり好まれない。もうそんなことは言わずにどの色にも独自の良さがあると認められたなら。

(文と写真:大谷恭子)

それぞれに光包みてチューリップ    立原誠子